囚われていた完璧

僕は完璧主義でした。

完璧主義とは物事を隅から隅まで完璧に行わないと気が済まないことです。

僕はこれに囚われていました。

例として、僕は上司や先輩に資料や作成したものを見てもらうとき、常に100点満点のものを

作らなくてはいけないと思い、人より時間をかけて作っていました。

その背景には

「完璧にしないと認めてもらえないのではないか、怒られるのではないか」という思いです。

ではその完璧の意味とは何か。

完璧とは、欠点や不足が全くなく、非常に立派なこと。また、そのさま。完全無欠。

完璧/かんぺき – 語源由来辞典 (gogen-yurai.jp)

これが完璧の意味のようです。

まず言います。こんな人間はいません。仕事にしても、プライベートにしても絶対にいません。

どんなにお金持ちの社長もキラキラしている芸能人でも、最初から完璧にできる人などいないのです。

僕らから見たらキラキラしている人でも必ず失敗や後悔、挫折があります。

簡単に物事が進んでいるように見えるかもしれません。

ですが、結果よりも大切な「過程」があることを忘れてはいけません。

完璧ではない僕の人生

僕は大きな挫折を味わいました。

それはプロフィールにも書いてありますが、新卒で入った認定こども園をうつ病で辞めたことです。

原因はたった1人の先生でした。多くの嫌がらせを受け、精神的に落ち込んでいきました。

こんなにも自分は弱いのか。たった1人のせいで辞めてしまってもいいのか。

と、とても悩んだことを今でも鮮明に覚えています。

これが今まで生きてきた人生の一番大きな挫折です。

社会人なりたての僕は

「仕事もプライベートも完璧にこなしたい。」

と、到底叶いもしない考えを持っていたと思います。

一度大きな挫折を味わってこの考え方がとても無謀であり、とても自分を苦しめていたということに気付きました。

改めて言います。完璧な人間は1人もいません。

今になって思えることですが、この挫折もいい経験になったと思えています。

完璧よりも完了を

どのようなことにも言えますが、完璧よりも「完了」を目指しましょう。

仕事を任されたのであれば

最初から100%で出そうと思うのではなく、80%で完了させて提出する。

プライベートであれば

相手の話や要求を100%聞くのではなく、80%で自分に少し余裕を持たせながら聞く。

常に100%は身体的にも精神的にも辛くなります。

80%位で少し余裕を持ってみましょう。

これを意識して生活してみてください。

また

「結果を意識し過ぎるのではなく、その過程も見て、

こうなりたいという理想の姿があったときに、その姿になるためにはどうすればいいのか。

そこまでの過程を細かく分け、今の自分をありのままで見る。

大きくも小さくもなく、等身大の姿で。」

完璧を追い求めていた自分自身への言葉でもあります。

これを意識して毎日を送っていけたらいいなと思います。

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